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2018-11-13
カテゴリトップ > 価格からさがす > 30,001円〜40,000円

岡本太郎 TARO OKAMOTO
サイコロ椅子
籐製スツール GLOCAL STANDARD PRODUCTS グローカルスタンダードプロダクツ【送料無料】


2011年は岡本太郎生誕100年記念として様々な展示会や企画が開催され、

サイコロ椅子は「 岡本太郎生誕100年記念事業 」の一環として復刻されました。

この椅子は、岡本太郎が国際デザインコミッティの創設メンバーとして、

グッドデザインの選定に参加されていた頃の1957年に、敏子氏と山川ラタン

製作所(東京大森)に赴き、そこでデザインを行い制作、のちに短い期間

販売されたものです。


商業的なデザインとは一線を画す、太郎が発した自由なかたちは製作上、困難な

部分もありましたが、巧みの技術をもった山川ラタン製作所が商品化として実現

させたという経緯があります。

復刻にあたっては当時製作に携わった、山川譲が製作監修を行いました。


岡本太郎の家具デザインといえば手の形をした椅子や角が何本も生えたような

照明、また「坐る事ことを拒否する椅子」などとてもアート性の強い作品が広く

知られていますが、こちらのサイコロ椅子はそれらの作品がつくられる以前に

デザインされた正統的なモダニズム家具です。

当時渡辺力氏が「トリイスツール」を山川ラタンで制作しており、岡本太郎は氏の

作品を見て自身でもデザインを行ったそうです。

当時青山のアトリエで岡本太郎がサイコロ椅子を実際に使用している写真が

残されていますが、そこでは渡辺力氏の籐製のローテーブルを合わせて使用

しています。

サイコロ椅子のデザインはやはりアーティストらしく機能性を持たせながらも

独創的なデザインです。

縄文時代の土器に強い興味を抱いていた岡本太郎。このサイコロ椅子にも

縄文土器の影響が色濃く表れています。

少し低めの座面は玄関で靴を履く際のスツールなどにも使用できそうです。


コチラで復刻の元となった当時のサイコロ椅子の記事をご覧いただけます。
当時のサイコロ椅子

※しっかりと編み込まれた籐は椅子としての十分な強度がございますが、
デザイン上、点での荷重には弱い部分もございますので踏み台などには
使用されないようご注意ください。

※メーカー欠品の場合には2週間以上お日にちをいただく場合が
ございますので、予めご了承下さい。

 SPEC/スペック
 品名  岡本太郎 「サイコロ椅子」 籐製スツール
 サイズ   幅36×奥行36×高さ36(cm)
 材質  籐(ラタン)  PU塗装
 デザイン  Taro Okamoto / 岡本太郎
 ブランド  GLOCAL STANDARD PRODUCTS
 納期  7日〜14日※お取り寄せ商品
 ※お取り寄せ商品の返品・交換・キャンセルは
 お受け致しかねます。

お支払い・送料について

※初めてお買い物をされる方はコチラをご覧ください。(ご注文の流れについて)

岡本太郎 サイコロ椅子

岡本太郎サイコロ椅子利用イメージ。

コーディネートアイテム
ウッドボウル(大):盛永省治 樫ボウル
ベース(小):盛永省治 山桜ベース
フロアランプ:イサム・ノグチAKARI 14A
バッグ:Ense 3way tote




岡本太郎 サイコロ椅子

岡本太郎サイコロ椅子利用イメージ。
玄関先等で靴を履く時にもちょうどいい高さです。

岡本太郎 サイコロ椅子

軽量なので持ち運びも簡単です。

岡本太郎 サイコロ椅子

岡本太郎財団による認定書が付属致します。

岡本太郎 サイコロ椅子

パッケージ詳細。正方形の素敵なパッケージに入っていて取っ手が付いています。

岡本太郎 サイコロ椅子

天然素材を使用しておりますので写真のように色の濃い部分や節などがございますのでご了承ください。

岡本太郎 サイコロ椅子

とても丁寧に編まれたラタンはシルエットも綺麗です。

岡本太郎

岡本太郎/Taro Okamoto 略歴

1911年 神奈川県橘樹郡高津村二子/現在の川崎市高津区二子に生まれる。
1917年 東京・青山の青南小学校に入学
1918年 2回の転校ののち、東京・渋谷の慶應幼稚舎に入学。
1929年 慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科入学、半年後中退。
      父のロンドン軍縮会議取材に伴い、渡欧。その後、ソルボンヌ大学哲学科で哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1936年 油彩『腕』(戦後改題、『傷ましき腕』)を制作。アンドレ・ブルトンに絶賛される。
1940年 パリ陥落に伴い帰国。
1942年 海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け召集、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
1946年 復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1947年 後に養女となる平野(旧姓)敏子と出会う。
1948年 花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1949年 翌年の現代美術自選代表作十五人展ために、読売新聞美術記者・海藤日出男のたっての希望により、
      戦災で焼失した油彩画『傷ましき腕』『露天』を再制作。
1950年 読売新聞主催の現代美術自選代表作十五人展に11作品を出品。
1952年 東京国立博物館で初めて縄文土器に触れ、衝撃を受ける。11月に渡欧。翌年にかけてパリとニューヨークで個展を開く。
1954年 アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立、『今日の芸術』を光文社からはじめて刊行。
1955年 ヘリコプターで銀座の夜空に光で絵を描く。
1956年 旧東京都庁舎(丹下健三設計)に『日の壁』『月の壁』など11の陶板レリーフを制作。
1959年 初めて沖縄に旅行する。またこの年から彫刻を始める。
1961年 草津白根山でスキー中に骨折入院(同じ病院には石原裕次郎が入院していた)。療養中に油彩『遊ぶ』、彫刻『あし』を制作。
1964年 東京オリンピックの参加メダルの表側をデザイン。
1965年 名古屋の久国寺に梵鐘『歓喜』制作。
1968年 初めての建築作品『マミ会館』が竣工。耐震上の不安から2001年に取り壊される。
1970年 大阪の日本万国博覧会のシンボル『太陽の塔』制作。
1973年 岡本太郎デザインの飛行船レインボー号が空を飛んだ。スポンサーは積水ハウス。
1974年 NHK放送センター・ロビーにレリーフ壁画『天に舞う』制作。
1976年 ウィスキー・グラス製作。「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」が流行語になる。
1977年 スペイン国立版画院に、日本人作家として初めて銅版画が収蔵される。
1979年 慶應義塾大学の卒業記念品としてペーパーナイフを制作。はじめての著作集が講談社から翌年にかけて刊行される。
1981年 日立マクセルのCMに出演し、ピアノを叩き叫んだ言葉「芸術は爆発だ!」が同年の流行語大賞の語録賞を受ける。
1984年 フランス政府より芸術文化勲章を受ける。
1985年 つくば万博のシンボルモニュメント『未来を視る』を制作。こどもの城のモニュメント、『こどもの樹』を制作。
1986年 福井県三方町で復元された縄文前期の丸木舟の進水式で舟長として舟を漕ぐ。
1988年 ダスキンのCMに出演。翌年アメリカの第29回国際放送広告賞を受賞。
1989年 フランス政府よりフランス芸術文化勲章を受章。
1991年 東京都庁舎移転のため、旧庁舎に設置されていた1956年作の陶板レリーフが取り壊される。
1992年 油彩『疾走する眼』制作。
1994年 三重県で開催される世界祝祭博覧会のシンボルモニュメント『であい』制作。
1996年 1月7日 急性呼吸不全のため慶應義塾大学病院にて死去。享年84。
2008年 行方がわからなくなっていた巨大壁画『明日の神話』が2003年にメキシコで発見され渋谷マークシティー連絡通路にて公開が始まる。
岡本太郎 生誕100年記念 サイコロ椅子 復刻
【Taro Okamoto】 ラタンスツール 名作椅子
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